ひと駅ごとの小さな旅

帷子ノ辻

「借景の街」美しい自然を享受する場所

嵐山

これまでに何度か嵐山を訪れたことはあるはずなのに、どこをどう歩いたのか思い出せない。

多分それは、ここが「自分の街」ではなく「みんなの街」のように感じるからだろう。
京都の中でも人気のある嵐山という街には、観光客の方がたくさん訪れ、みんながそれぞれに楽しみ、それぞれに思い出を作っていく。

その光景と「そういう街だ」という記憶だけ残っていて、自分の思い出が残っていない。
嵐山駅にひとり降り立ったとき、ふと、そのことに気づいた。

嵐山

それと同時に、今日は違う日になる予感もしていた。

平日の水曜日。天気は雨。まだ紅葉も始まっていない、秋のありふれた1日。
土日よりは少ないだろうにしろ、嵐山はやはりたくさんの人で賑わっていた。それでも、いつもよりもずっと親しみやすい顔をしていた。

わたしは傘をさして、初めて訪れるかのように歩き始める。

天龍寺

天龍寺

改札を出て右手に歩いていくと、すぐに天龍寺の石碑が見えてくる。

前回「帷子ノ辻駅」で、その駅名の由来となった檀林皇后について書いたけれど、ここは彼女が開創した禅寺・檀林寺の跡地であるらしい。
その後、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために、夢窓国師を開山として天龍寺を創建したのだという。

檀林皇后と再会できたみたいで、なんだか嬉しいなと思う。

嵐山

本堂へ向かって歩いていると、右手に蓮の大群が見えた。
大きな葉を空に向け、ひしめくように生えている。
今は一輪も咲いていないが、夏には盛大に咲いていたのかもしれない。

蓮は、泥水を吸って花を咲かせる。
その花は泥水が濃ければ濃いほど鮮やかな色になるという話を、何かで読んだことがある。

蓮の花が浮世離れした美しさを持つのは、その不思議さからかもしれない。
泥水を濾過する力が強ければ強いほど、輝くように花を咲かせる。
人と同じだと思う。

嵐山

靴を脱ぎ、大方丈に入った。
広い室内は畳の良い香りがし、時間の流れが急にゆったりとしたように感じる。

歩いていくと、突然ぱっと外に向かって開けた場所に出て、わたしは思わず「わあ」と声をあげた。
夢窓国師作の、曹源池庭園だ。

嵐山を借景としているこの庭は、秋が深まるととてもきれいな色合いになるのだそうだ。
この日はまだずいぶん緑のほうが多かったけれど、その風景もまた非常に美しかった。

雨がこまかく波立たせる池の水面、水で洗われたようなみずみずしい葉、うっすらと靄に覆われた嵐山。

「借景」というのは文字通り「景色を借りること」だ。
わたしはその発想がとても好きである。
外にあるものを、内に借りてきて、愛で親しむ。自分の世界が外とつながり、広がって、豊かになっていく。
その「外とつながる」という考え方に憧れる。
世界との距離の近さ。美しさへの貪欲さ。

これを作った人は天才的な編集者だなと思った。
編集者というのは、そこに在る素材を使って、これまでに無いものを生み出す。
「山」という自然物を取り込んで、夢窓国師は「庭」という人工空間を作った。
「借景」は、ダイナミックな編集技術のひとつなのだ。

嵐山

思えば人生は「借景」だらけではないだろうか。
目の前でただ過ぎ行く光景も、「借景」として取り入れれば、自分のなかで消えない「思い出」となる。

空から柔らかく降り続ける雨も美しい庭の一部となっていき、その光景もまた、わたしの中の一部となる。

宝厳院

宝厳院

天龍寺を出て奥のほうへと歩いていくと、塔頭寺院の宝厳院がある。

緑が鬱蒼と茂る庭は、「獅子吼(ししく)の庭」という名前なのだそうだ。
看板を読むと、「獅子吼」というのは「仏が説法する」という意味とのこと。庭を歩き、鳥の鳴き声、風の音に耳を澄ませていると、まるで仏の説法を聞いているように心が安らかになり癒されるのだという。

嵐山

真っ黒い石が敷き詰められ、まるで沼のようになっている場所があった。
これは「苦海」を表しているそうだ。此岸から彼岸へ、十二支の獣たちがこの海を渡っていく。

雨に濡れた黒石はつやつやと油を塗ったように光り、ひとりで見ていると迫力に気圧されそうになった。
絵でもなく文章でもなく、「庭」という表現技法があることを改めて知る。

嵐山

本堂では襖絵が現在公開されているとのことで、入ってみることにした。
入り口でもらったパンフレットに、襖絵を描いた田村能里子さんという洋画家の方の言葉がある。

「描いたのは雄大な自然の山河と、全体に流れる風紋。燦々と輝く太陽と月。黄膜と群青の空。鳥たちと三十三体の生成りにつつまれた人形(ひとがた)。それだけです」

現物の写真は撮れないが、入り口にあるサンプルは撮影可能とのこと。
入る前に写真を撮ると、受付の方が
「本物、ぜひゆっくり楽しんでくださいね。色合いが本当に見事なので」
と笑顔でおっしゃった。

進んでいくと三つの部屋があり、手前から朝、昼、夜と、時間が深まっていく。
赤色を背景に、いろいろな人物が座ったり、遠くを見たり、うつむいたりしている。
最後の部屋に入ったときに「あっ」と声が出そうになった。
吸い込まれそうなほどに深い、夜空の青だ。
さまざまな色を見せる空もまた、わたしたちにとっては借景なのだなと思う。

「とてもきれいでした」
受付の方にそう言うと、彼女はすごく嬉しそうに笑った。
「今日は雨ですから、葉も苔も鮮やかな緑で、庭がとてもきれいです。良い時に来られましたね」
そう言って、わたしを見送ってくれた。

新渡月

新渡月

宝厳院を出て、また嵐山駅周辺へ。渡月橋へと向かう道すがら、おなかが空いたのでうどん屋さんに入る。雨に濡れて少し肌寒かったが、熱いうどんを食べると元気になった。頼んだのは「近江黒鶏と九条ねぎのうどん」。当店いちおしメニューとのことらしく、おいしかった。

渡月橋

渡月橋

南へ進んでいくと桂川にかかる渡月橋に出る。台風の影響で欄干が壊れ、この日は片側を工事していた。桂川は流れがゆったりとしていて緑色をしている。その上を船が通るのを見ながら歩いていると、前にいた修学旅行生が「この川、でっかくていいね」と言っているのが聞こえた。

大悲閣道

大悲閣道

渡月橋を渡りきり、T字路を右に曲がっていくと、嵐山に続く長い長い道がある。
ここは大悲閣道といって、大悲閣千光寺へと続く道だ。

にぎわっていた街からはずれると急に人が少なくなり、いつの間にかわたしひとりになっていた。
緑に囲まれた静かで長い坂道を、ゆっくりとのぼっていく。

大悲閣道

千光寺にたどり着く直前に、こんな風景に出会った。

乳白がかった緑色の川の水は、凪いでいて停滞しているように見える。
ごつごつとした岩肌に降りてみると、まるで先ほど宝厳院で見た、此岸と彼岸がつながる場所にいるような気がした。

大悲閣千光寺

大悲閣千光寺

大悲閣道を登りきったところに、千光寺の入り口がある。
そこからさらに長い階段が続き、緑に包まれた道を登っていく。

誰もいない。とても静かだ。
風が吹くとざわざわと音がして、地面を踏みしめる自分の足音、そして荒くなっていく自分の呼吸が大きく聞こえる。

「こわい」と何度も思った。
このままどこか違う場所に行ってしまっても、それはそれで不思議じゃないような気がした。

大悲閣千光寺

階段をどんどんのぼっていくと、やっと人がいる気配がしてきた。 鐘のそばに「三回までは打ってもいい」という注意書きがあったので、どきどきしながら一度だけ打つ。 柔らかい鐘の音が、嵐山のなかに吸い込まれていった。

大悲閣千光寺

本堂に着くと、和尚さんとかわいい柴犬がいた。
柴犬のそばには「噛みます」という看板が掲げられている。和尚さんに話しかけるととても気さくな方で、千光寺のいろんな資料をわたしに手渡してくれた。

部屋の中から景色を眺める。高所恐怖症なので外に出ることはできなかったけれど、嵐山が一望できて本当にきれいな景色だった。

「今日は晴れの日には見られない景色ですね、こういう空は珍しい」
和尚さんにそう話しかけられ、
「京都に長らく住んでいますけど、こんな場所があるだなんて知りませんでした」
と返事する。そのとき、鳥が鳴くような声が聴こえた。

「これ」
と、和尚さんが宙を指差す。
「この声、なんだかわかります?」
「いえ、初めて聴きました。何かの鳥ですか?」

「鹿です。鹿の鳴き声」

へー、と驚いているわたしに、和尚さんはこう言った。

「渓声、という言葉があります。谷の声のことです。ここに来るとね、本当にいろんな音があるんだなあってことに気づくんですよ。風の音、滝の音、鳥の声」

そして、「今度は晴れた日にもぜひ来てくださいね」と言った。

嵐山駅

嵐山駅

大悲閣道をくだりきると、雨が上がっていた。なんだか、違う世界から帰ってきたみたいな気持ちだった。少しぼんやりしながら、嵐山駅で四条大宮行きの嵐電に乗り込む。

座席について、今日歩いた道のことを思い返した。「嵐山」というところは、嵐山という豊かな自然をぞんぶんに享受する場所だった。
わたしの目の奥には、雨に洗われた緑の景色がまだ残っている。

「借景だ」
そう思った瞬間、電車が動き出した。

土門 蘭(どもん らん)

1985年広島生。小説家。京都在住。ウェブ制作会社でライター・ディレクターとして勤務後、2017年、出版業・執筆業を行う合同会社文鳥社を設立。
インタビュー記事のライティングやコピーライティングなど行う傍ら、小説・短歌等の文芸作品を執筆する。
共著に『100年後あなたもわたしもいない日に』(文鳥社※刊)。

「※社は旧漢字」

Information

自家製麺 新渡月

自家製麺 新渡月

住所:京都市右京区嵯峨天龍寺造路町20-40

営業時間:11:00 ~ 21:00
ランチタイム11:00 ~ 15:00
ディナータイム17:00〜21:00
ラストオーダー 20:00

定休日:毎週木曜日(臨時休業あり)

TEL:075-882-9884

大悲閣千光寺

大悲閣千光寺

住所:京都市西京区嵐山中尾下町62

開門時間:10:00~16:00

入山料:400円

TEL::075-861-2913

嵐山駅

嵐山駅はんなり・
ほっこりスクエア

営業時間:
(1F)9:00~20:00
(2F)11:00~20:00ラストオーダー
(ファーストキャビン京都嵐山)
チェックイン17:00~

(駅の足湯)9:00~20:00
利用料200円(タオル付)
※受付は営業終了の30分前まで

(レンタサイクル)9:00~17:00
※受付は15時まで

※12月下旬~3月下旬は冬季営業時間

URL:www.kyotoarashiyama.jp

TEL:075-873-2121
(嵐山駅インフォメーション)

天龍寺

天龍寺

参拝時間:
8時30分 ~ 17時30分(北門は9時開門・17時閉門)
※10月21日~3月20日:8時30分~17時(北門は9時開門・16時30分閉門)

参拝料:
庭園(曹源池・百花苑)
高校生以上:500円
小・中学生:300円
未就学児 :無料
受付時に障害者手帳を提示された方は、本人および介護者1名まで100円引き

諸堂(大方丈・書院・多宝殿)
庭園参拝料に300円追加
※行事等により諸堂参拝休止日あり
諸堂参拝休止日:10月29-30日(開山毎歳忌)など

法堂「雲龍図」特別公開
一人500円(上記通常参拝料とは別)
※土日祝日のみ[春秋は毎日公開期間あり]
9時~17時(10月21日~3月20日は16時 閉門)

宝厳院

宝厳院

2018年 秋の特別拝観
開催期間:
2018年10月6日(土)~12月9日(日)
※11月1日から10日までの間、法務の為、本堂襖絵「風河燦燦三三自在」は拝観いただけません。予めご了承ください。

参拝時間:
午前9時~午後5時
※受付終了:(本堂)午後4時30分
      (庭園)午後4時45分

参拝料(庭園):
大人500円 小中学生300円
宝厳院・弘源寺割引共通券900円
※宝厳院本堂特別公開:
別途志納料(大人500円・小中学生300円)が必要です。

2018年 秋の夜間特別拝観
開催期間:
2018年11月9日(金)~12月2日(日)
※11月9日と10日は、法務の為、本堂襖絵「風河燦燦三三自在」は拝観いただけません。予めご了承ください。

参拝時間:
午後5時30分~午後8時30分閉門
※受付終了:(本堂)午後8時
      (庭園)午後8時15分

参拝料(庭園):
大人600円 小中学生300円
※宝厳院本堂特別公開:
別途志納料(大人500円・小中学生300円)が必要です。

map