ひと駅ごとの小さな旅

嵐電嵯峨駅

「馴染みの街」さりげなく心が開く場所

嵐電嵯峨駅

嵐電嵯峨駅

嵯峨駅には初めて降り立った(この連載で訪れるほとんどの駅が「初めて降り立った」駅だが)。

ひとつ隣駅の嵐山駅よりも閑静で、それでいて観光地らしさもある。
第一印象は静かだけど開いている感じ、だった。静かなのは、雨が降っていたからかもしれない。紫色の嵐電を降り、傘をさして初めての街を歩く。

いろいろな駅に降りるたびに、「ここに住んでいる自分」を想像する。
たとえば自分は今仕事帰りで、これから子供を迎えに行くところであるとか。
たとえば自分は今繁華街で買い物をしてきて、これから家に帰るところであるとか。

想像するたびに、自分の人生はひとつではないのだなと思う。
今送っている人生も、今帰るべき家も、選択肢のうちのひとつでしかない。
そう思うと、急に目の前が開けてくるような気楽さを感じる。
わたしはどこにでも行けるし、どこでも生きていけるんだというような。

まるでその街の住人みたいな顔で、改札を通る。
これはわたしの心に風を通してくれる、大切な妄想だ。

嵐電嵯峨駅

ロンドンブックス

駅の裏側に歩いていくと、本屋さんがあることに気がつき嬉しくなった。
「自分が住む街」に欠かせないもののひとつは、やはり本屋さんである。

青いひさし、深い緑色のドア。
ガラス窓から覗くと、美しく並ぶ本と、それをさらに美しく整えている店主らしき男性の姿が見える。
嬉々として、それでいてどきどきしながら、わたしはその緑色のドアを引いた。

入ってすぐの面陳には京都の観光本、窓際には何年か前に発刊された雑誌、壁際の本棚にはおごそかな佇まいの函入りの小説集、そして整然と並ぶ文庫やコミックの数々。
並んでいる本はすべて古書で、ジャンルは実にさまざま。
古いものから比較的新しいもの、純文学からエンターテインメント文学まで。
それなのに雑多な感じがしないのは、一冊一冊が然るべき場所に然るべきかたちで並べられているからだと思う。

店内をゆっくり歩きながら、なんだか嬉しい気持ちになる。
こちらの店主さんは、本を愛している方なのだろう、きっと。
お話したこともないし、初めて訪れた場所だけど、そんなことを思った。
丁寧に扱われた本は、一冊一冊が自信のある顔つきをしている。本たちがめぐりめぐってやってきたこのお店でそういう表情をしていることが、なんだかわたしには嬉しかった。

たっぷり見まわったあと、吉行淳之介の『特別恐怖対談』(新潮文庫・昭和62年)を購入。150円也。
ドアを開け、また雨の街に戻っていきながら、ここに住んでいる自分がますます鮮やかに想像できる気がした。

嵐電嵯峨駅

嵯峨駅の近くには、安倍晴明の墓所と言われているところがあるらしい。
最近、映画『陰陽師』のDVDを観たばかりであったわたしは、ぜひ行ってみたいと思っていた。

道に迷ったので(わたしは地図が読めないのでよく道に迷う)、郵便局のATMでお金をおろしがてら、局員さんに訪ねてみる。

「あの、安倍晴明の墓所って、どちらですかね?」
とうかがうと、女性局員さんたちが目を合わせた。
(あれ、もしかしてわたし何か間違えてる?)と不安になった瞬間、
「安倍晴明のお墓なら、この裏手ですわ!」
奥の方にいた男性の局員さんがおっしゃって、身振り手振りで指をさしてくれた。
「長慶天皇のお墓があるんやけど、その隣に祠がありますよ」と。

それを聞いて女性局員さんも合点のいった様子で、「ああ、それなら」と、丁寧に地図を持って説明してくださる。

「お忙しい中すみません」
頭を下げると、みなさんにこにことして見送ってくださった。
「雨やしお気をつけて」

勇気づけられた思いで自動ドアを過ぎ、ふたたび雨の中に帰っていく。

嵐電嵯峨駅

長慶天皇嵯峨東陵・長慶天皇皇子承朝王墓

駅の踏切を越えて南に向かうと、ますます静かな住宅街になる。
その中に突然どんと貫くまっすぐな道があり、その奥に「長慶天皇のお墓」はあった。
「お墓」とは言えど、実際にご遺体が埋葬されているわけではないという。

雨がしとしとと降り注ぐ中、人ひとり歩いていない。
砂利を踏みしめる足音と、傘を打つ雨音だけが、自分の耳に届いた。

嵐電嵯峨駅

長慶天皇は、室町時代の第98代天皇にして、南朝の第3代天皇だという。
生い立ちには不明な点も多くて、在位・非在位の議論もされており、天皇として公認されたのは大正になってからなのだとか。
ここに来るまでまったく知らなかった方だが、お墓をお参りしたというだけで、少し身近に感じてしまうのはげんきんだろうか。そう思いながら、広々とした御陵に手を合わせる。

その横には、皇子の承朝王のお墓が並んでいるのだが……
実は承朝王のお墓を、わたしは安倍晴明のお墓だと思い込んでいたのである。
「ここが安倍晴明のお墓かあ、ずいぶん大きいんだな」
と、とぼけたことを考えながら手を合わせていた。ずいぶん失礼なことをしてしまった。

帰ってきてから改めて調べてその事実を知って、今これを書きながら驚いている。
それなので、せっかく教えてもらったにも関わらず、安倍晴明のお墓はお参りできずじまいである。

嵐電嵯峨駅

zarame

ふたたび線路を挟んだ北側へ。
少し歩き疲れて甘いものが欲しくなったので、おしゃれな綿菓子屋さんに入る。若い女性のスタッフの方が、とてもいい笑顔で出迎えてくれた。

原材料の砂糖から自社で開発したり、トッピングパウダーには国産のオーガニック素材を使ったりと、こだわりのある綿菓子屋さんであるとのこと。
「錦八ッ橋」「桜みるく」「京抹茶ラテ」など、味が想像できるようでできない綿菓子たちに、ついひとりでうきうきしてしまう。

「悩みますね」
棚を見つめながら思わずこぼすと、
「ゆっくり選んでくださいね」
と、にこにこしながらお姉さんがおっしゃった。

お店の中では食べ歩き用に棒付きの綿菓子も作られているのだけど、雨が降っているので袋入りを選んだ。散々悩んだあげく「抹茶金時」を買う。

雲のような綿菓子をつまみちぎり、口に入れた。舌の上でしんわり溶けていく懐かしい感じ。
意外にしっかりと渋みがあり、あずきパウダーが効いていておいしい。大人の味だった。

嵐電嵯峨駅

京菓匠 鶴屋長生 嵐山店

袋入りの綿菓子を持って進もうと思ったら、数軒離れたところに和菓子屋さんがあった。
甘いものに目がないわたしはついじっとディスプレイを見る。
ふと、ガラスの扉越しに店員さんと目が合い、微笑みかけられ、吸い寄せられるように中に入った。

『京の生麩まんじゅう』という和菓子を見ていると、
「みそあん、ごまあんもおいしいですけど、いちばん人気なのはやっぱりこしあんですねえ」
とさりげなく言われ、ごまあんと迷っていたのだがこしあんを購入。これはお土産用。

嵐電嵯峨駅

トロッコ嵯峨駅

商店街を通り抜けると、突き当たりにJR嵯峨嵐山駅が見えた。ふと左手を見ると、大きなSLが鎮座している。こちらはトロッコ嵯峨駅。ふたつの駅が隣接しているらしい。トロッコ列車は、今は冬季休業中ということで動いていなかった。

人力車のお兄さんたちが、雨の中仕事に精を出している。
声をかけられなかったので、もしかしたらこの街の住人だと思われたのかもしれない。

再び、嵐電嵯峨駅

再び、嵐電嵯峨駅

片手に傘、片手に綿菓子と和菓子をぶらさげ、再び嵐電嵯峨駅へと戻った。

電車に乗る間際にふと気づいたが、なんだか今日はいつもよりよく喋った気がする。
街もわたしも、心を開き合っていたような。もしかしたらこれが、「相性がいい」ということなのかもしれない。街との相性は、歩いてみないとわからないものだ。

馴染みのある街、とはよく言ったもので、街が肌に馴染むというのはすごく大事だ。
そういう街が、ひとつでも多く自分の中にあるのはいい。
もうひとつ、新しい人生が増えるようで。

さあ帰ろう。自分が住んでいる街へ。

土門 蘭(どもん らん)

1985年広島生。小説家。京都在住。ウェブ制作会社でライター・ディレクターとして勤務後、2017年、出版業・執筆業を行う合同会社文鳥社を設立。
インタビュー記事のライティングやコピーライティングなど行う傍ら、小説・短歌等の文芸作品を執筆する。
共著に『100年後あなたもわたしもいない日に』(文鳥社※刊)。

「※社は旧漢字」

Information

ロンドンブックス

ロンドンブックス

住所:京都市右京区嵯峨天龍寺今堀町22
営業時間:10:00-19:30
定休日:月・第3火曜
ホームページ:https://londonbooks.jp/

TEL:075-871-7617

zarame

長慶天皇嵯峨東陵・長慶天皇皇子承朝王墓

住所:京都市右京区嵯峨天竜寺角倉町

zarame

zarame

住所:京都市右京区嵯峨天龍寺車道町1
営業時間:10:00-18:00 11月土日祝のみ9:30-19:00
定休日:無休
ホームページ:http://zarame-japan.com/

TEL:090-5905-5840

京菓匠 鶴屋長生 嵐山店

京菓匠 鶴屋長生 嵐山店

住所:京都市右京区嵯峨天龍寺今堀町4-1
営業時間:9:00−17:00
定休日:不定休
ホームページ:http://kyofuzei.jp/

TEL:075-366-6470

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