ひと駅ごとの小さな旅

鳴滝駅

「青空と桜の街」ひとりで歩き向き合う場所

鳴滝駅

嵐電の始点である四条大宮駅から電車に乗って、帷子ノ辻駅に向かう。
そこで一度降り、北野白梅町駅行きの電車に乗り換える。そこから3つ目の駅が鳴滝駅だ。

鳴滝駅には初めて降りた。
この連載を始めてから、聞いたことのある駅名だけど降りたことのない駅で降りてみる、ということを何度もしているが、そのたびに新しい空間をからだがかき分けていくような気持ちになる。
そして、確実に自分のからだにその空間の記憶が残っていくのを感じる。

最近、その記憶の大半は天気と人でできていることに気がついた。
帷子ノ辻駅は雨と本屋の店員さん、龍安寺駅は曇りとフランス人観光客、蚕ノ社駅は晴れと肉屋の店長さん、というように。
天気はその街の表情を大きく変え、人はその街の代弁者となるようだ。

ひとりで歩いていると、特にその印象は強くなる気がする。
記憶が、誰とも共有されないからかもしれない。まるごと受け取る感じ。
たったひとりで街と向き合うというのは、そういうことだと思う。

鳴滝駅

鳴滝駅

この日の鳴滝駅は、とても晴れていた。
一緒に数名の観光客の方と電車を降りたが、彼らが先に歩いて行ってしまうと、急にあたりは静かになった。

鳴滝駅周辺は、住宅街であるらしい。
お店が数件ある他はほとんど民家で、平日の真昼間だからか、ひとけがない。
さっき一緒に降りた観光客の方たちはどこに行ったのだろう?
忽然、という感じでいなくなってしまった。

とりあえず、鳴滝駅の由来となった滝まで行ってみようと地図を見ると、北へ向かって歩いて15分くらいの場所にあるということがわかった。
とても暖かくて、汗ばむくらいの陽気の中、てくてくと歩き始める。

鳴滝駅

桜のトンネル

ふと後ろを見ると、隣駅である宇多野駅へ続く嵐電の線路が見えた。
そこにたくさんの人が集まっていて、カメラを持って何かを待っている。
「あ、ここにいたのか」とわたしもふらりと立ち寄る。みんな何を見ているのだろう?

人々の合間から線路を覗き込むと、宇多野駅へ向かって桜のトンネルが続いているのが見えた。満開の桜は、多分今が一番の見頃なのだろう。みんなこの中を通り抜ける嵐電を待っているようだった。

思い切り背伸びをして腕を伸ばして、人々の頭の上から写真を一枚撮った。それが、この写真。

鳴滝駅

夕月橋

再び北に向かって歩き出し、夕月橋というところまで来ると、ひとりの女性の方がじっと立って、写真を撮っているのが見えた。
樹に咲く花ではなく、川面に落ちて流れる花びらを撮っているらしい。

こうして見ると、桜というのは奇妙な樹だ。
こんなにおびただしく花を咲かせる樹なんて他にあるだろうか?
ときどきあまりの花の多さに、ぞっとする。美しさの中に、狂気の混じった植物だと思う。だからこそ、こんなに多くの人を惹きつけるのかもしれない。

彼女の後ろ姿をぼんやり見ていたら、横から車がクラクションを鳴らした。
はっと彼女が振り返ったので、なんとなくあわてて歩き始める。

鳴滝駅

Poco a Poco

北へ北へと向かっていくと、国道沿いにパン屋さんがあった。
窓際には小さな席があり、中でも食べられるらしい。ここでお昼ご飯をとることにする。

陳列棚にはいくつものパンが並んでいて、どれにしようか迷っていたら、女性の店員さんに声をかけられた。
「塩バターロールを買っていきはる方が多いですよ」
とおっしゃったので、「それじゃあ」とそれを取る。
「あ、それは、あんこ入りですけどいいですか」
そう言われたのでよくよく見たら、“こしあん塩バターロール”だった。
でもそれもおいしそうなので、それにする。もうひとつ、“カリカリチーズのパニーニ”というのをいただく。ベーコンや大葉やトマトが挟まっているとのことだった。

このお店はもともと電気屋だった息子さんが2年前に立ち上げたのだと、パンをトレイに乗せてくれながら女性は言った。
「わたしも慣れるまでは大変だったけど、今ではもう、パンの種類も全部覚えたんですよ」
と嬉しそうに話す。

「いろんな人が来てくれはるんですよ。小学生も来れば、おばあちゃんも来はる。歳をとってからのいいことというのは、赤ちゃんからお年寄りまで誰とでも話せることやね」

“こしあん塩バターロール”も“カリカリチーズのパニーニ”も、どちらもとてもおいしくて、わたしはイートイン席からレジに向かって、「おいしいです」と声をかける。
「あら、よかった」と女性は嬉しそうに笑った。

鳴滝駅

鳴滝

パン屋さんを出て、国道沿いを北東に歩いて5分ほど。
ふと、下に続く石階段が目についたので降りてみると、祠が建てられてあった。
その向こう側で滝が流れているのが見える。あ、これが鳴滝か、と思う。
言い伝えではその昔、この滝がゴーゴーと大きな音をたてたことがあり、そのあとに大洪水が来たという。そこから「鳴滝」という名前がつき、地名、駅名にもなったそうだ。

大きな岩の間を、水が勢いよく飛沫をあげながら流れていくのが見える。
削り取られた岩肌に、幾重にもなった地層が見えた。

鳴滝駅

芭蕉句碑

祠のそばには芭蕉の句碑が静かに建っている。
目をこらしてもなんと書いてあるのか読めなかったけれど、ここにはこのように書かれているとのことだった。

「梅しろききのふや鶴を盗まれし」

これは、鳴滝にある三井秋風(みついしゅうふう)という俳人の山荘を、芭蕉が訪ねたときに詠んだ俳句だという。
白梅がきれいに咲いているが、鶴が見当たらないのは、昨日盗まれたからだろうか。
宋代の詩人・林和靖(りんなせい)は、梅を妻に、鶴を子に見立てて生涯独身で通した。そんな林和靖になぞらえて一句呼んだ俳句なのだそうだ。

鳴滝駅

三宝庵

鳴滝から国道を越えた向かい側に、三宝庵というちりめん屋さんがあった。

中に入ると、元気の良い明るい女性に声をかけられる。
「ふきのとう、おいしいですよ。食べてみて」
「こっちは笹ちりめん。うちの看板商品。一番売れてるの」
「これはいわし土佐煮。ね? おいしいでしょう?」
立て続けに勧められながら、手のひらに山盛りに乗せてもらったふきのとうや笹ちりめんなどを食べる。全部、とてもおいしい。
「とてもおいしいです」
と言うと、
「そうでしょう」
と、彼女はたっぷりと誇らしげな顔をした。
その表情がとてもよかったので、結局、3つとも買って帰った。

ふきのとうや笹ちりめんはご飯に混ぜておにぎりに、いわし土佐煮はそのまま食べてお酒のあてにするのがいいかもしれない。

鳴滝駅

コーヒーショップサバーブ

鳴滝駅へと帰る途中、壁が蔦だらけの喫茶店に入った。
喫茶店というのは、リラックスしてコーヒーを飲む場所であるはずなのに、最初はどうしてこうも入るのに緊張するのだろう。
だけど、一度入ってお茶をすれば、もうそこが自分にとっての逃げ場所というのか休み場所というのか、プライベートな空間になることを知っている。
そういう場所が街に増えるのは、なんとも心強いことだ。
だからわたしは、いつも勇気をもって入るようにしている。

入ってみると、古い時計が壁にかけられていて、大きな音でラジオの音楽が流れていた。
窓際では男性客がひとり、新聞を飲みながらコーヒーを飲んでいる。
マスターにコーヒーを注文し、鞄から文庫本を取り出した。壁には、コーヒーがいかに健康にいいかということが書かれたポスターが貼ってあり、なんだか元気づけられる。

さっぱりとした味わいのコーヒーを飲み終わり、マスターに代金を支払った。
無駄なことを一切話さない、物静かで気難しい方のように見えたが、思い切って「こちらのお店のことを書いてもよいですか」と聞くと、彼は目を丸くして、
「どうぞ、好きなように書いてください」
と言ってくれた。

連絡先を交換したいと申し出ると、
「マッチでええかな?」
と言う。
わたしは煙草を吸わないが、喫茶店のマッチを集めるのは好きなので喜んだ。
すると、
「もう、今はマッチ欲しがる人もおらへん。よかったら全部あげるわ」
と20個くらいマッチをくれたので、慌てて受け取りながらも、思わず笑ってしまった。

ああ、もうこれでわたしは、いつでもここに来れるな、と思う。
そういう場所が人生に増えるのは、なんとも心強いことだ。

小さなマッチ箱には英語で「SUBURB」と書いてある。意味を調べると「郊外」とあった。

鳴滝駅

再び、鳴滝駅

南に下がって駅まで戻り、北野白梅町行きの電車に乗る。
鳴滝駅と宇多野駅間の桜のトンネルをくぐってみようと思ったのだ。

電車が動き出し、乗客が窓の外を眺め始める。
すぐそばを満開の桜がいくつも通り過ぎ、隣に座っていた男女のカップルが
「きれいだね」
と声を落として言い合うのが聞こえた。

「鳴滝」と聞いたら、今度から青空と、桜と、そしてここで出会った人たちを思い出すのだろう。
それは、晴れた国道を眺めながら食べた塩パンの味や、手のひらに乗せられたちりめん山椒の触感、そして小さなマッチ箱から聴こえるかさかさとした音も連れてくる。

初めての街をひとりで歩くということは、そういうことだ。
日常よりも五感が研ぎすまされ、街を強く記憶する。
それは、自分が確かにここにいたのだということを、強く実感することでもある。

街の分だけ、自分が存在する。
知らない街をひとりで歩くと、そんな気持ちになってくる。

土門 蘭(どもん らん)

1985年広島生。小説家。京都在住。ウェブ制作会社でライター・ディレクターとして勤務後、2017年、出版業・執筆業を行う合同会社文鳥社を設立。
インタビュー記事のライティングやコピーライティングなど行う傍ら、小説・短歌等の文芸作品を執筆する。
共著に『100年後あなたもわたしもいない日に』(文鳥社※刊)。

「※社は旧漢字」

Information

鳴滝

鳴滝

住所:〒616-8247 京都市右京区鳴滝蓮池町

Poco a Poco

Poco a Poco

住所:〒616-8242 京都市右京区鳴滝本町69-15
営業時間:7:30-18:00
定休日:日曜、月曜

TEL:075-462-6416

三宝庵

三宝庵

住所:〒616-8251 京都府京都市右京区鳴滝宇多野谷9-71
営業時間:9:00-18:00
定休日:無休
ホームページ:http://www.sanpouan.jp/

TEL:075-461-3776

コーヒーショップサバーブ

コーヒーショップサバーブ

住所:〒616-8247 京都市右京区鳴滝蓮池町9-2
営業時間:8:00〜17:00
定休日:水曜日

TEL:075-461-9612

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