ひと駅ごとの小さな旅

妙心寺駅

「成長の街」たゆまぬ精進の場所

妙心寺駅

四条大宮駅から、嵐山行きの嵐電に乗り込み、文庫本を開く。

今日持っているのはある歌人のエッセイ集で、とてもおもしろい。夢中で読みながらも、帷子ノ辻駅に到着したら本を閉じ、一旦降りる。そして向かいに停まっている北野白梅町行きの電車に乗り込み、再び本を開いた。

我ながら成長したなあ、と思う。
この連載が始まった頃には、到底できなかったことだ。

慣れない路線は、駅の配置が体感的に把握できない。
駅名を聞いただけでは「ああ、今、全体のここらへんなんだな」というのが、わからないのだ。だから急に目的地の駅名を読み上げられたりして、すごく慌てる。その一方で、「今わたしは目的地を乗り過ごしてしまったことに気づいていなくて、このまま終点まで行ってしまうのではないか」と疑心暗鬼になってしまい、気が張っている状態でもある。そこには本など読む余裕はない。

それが、今やエッセイ集に夢中になりながらもしかるべき駅で降りしかるべき電車に乗り継ぐ、ということができるようになってきた。そんな自分が、少し誇らしい。
人はいくつになっても新しい環境に適応する。続ければ続けるほど。その適応が喜ばしいものであれば、それは「成長」と呼ばれるのだろう。

この日は、もう一度妙心寺駅にやってきた。前回まわりきれなかった場所をまわるためだ。二度目に来た駅はすでに少し懐かしい場所となっている。わたしは以前より慣れた調子で、妙心寺へと向かった。

妙心寺駅

妙心寺

北門から入り、寺町を歩いていく。妙心寺の中は緑が多い。整然とした道に足を踏み入れたとたんに、緑のむっとした匂いに包まれる。
1年のうち、もっとも美しい月は6月だと思う。緑が青々と茂り、風は涼しく、水がたっぷりと天から降り注ぐ季節。みずみずしく、光に満ちた季節。

妙心寺駅

退蔵院

北門からずいぶん歩き、南門が見えてきたころ、退蔵院が横手に現れた。
足を踏み入れるとますます緑が繁茂した空間で、今度は甘い匂いが濃く漂っている。いろいろな花が咲いているのだ。
何の香りだろうと、近くに咲いていた花にためしに鼻を近づけてみると、香りはまさにその白い花のものだった。それはクチナシの花で、花弁の上を蟻がせっせと歩いている。多分、甘い蜜を運んでいるのだろう。

妙心寺駅

方丈

拝観料を支払い、方丈へ。
退蔵院は今から600年以上前、無因宗因禅師を開山として建立されたそうだ。
応仁の乱で炎上したのち再建されたこの方丈では、宮本武蔵も修行をしたと伝えられている。

壁には瓢鮎図が飾られており、小さなひょうたんで大きなナマズを捕まえようとする男が描かれていた。どうしたらこのひょうたんでナマズを捕えられるか……という禅の問題に、高僧31名が回答を寄せている、有名な絵だ。

わたしだったらどう答えるかな、と考えながら、絵を正面から見る。
ひょうたんで池の水を全部抜く? ひょうたんをなまずに投げてぶつけて気を失わせる? なまず捕り名人と交渉して、ひょうたんを贈る代わりになまずを捕えてもらう? 
そんなばかな。いろいろ考えたものの、自分の稚拙な考えに苦笑してしまう。これ以上考えても、到底良い答えが思いつく気がしない。

でも、そんな「到底良い答えが思いつく気がしない」問いをずっと考え続けることが、大事なのだろうなと思った。ずっと考えているうちに、ふと、「あっ」と思うものなのかもしれない。鍛えているうちに少しずつ脚の筋肉がついて、ある日、ふと高くジャンプできるように。

妙心寺駅

元信の庭

方丈の脇には、枯山水庭園「元信の庭」が広がっている。
室町時代の画聖・狩野元信が作庭したという。常緑樹が主に植えられているので、年中景色は変わらない。そんな「不変の美」を目指したとのことだ。

日々、たゆまぬ努力で精進し続ける。そんな禅と剣の修行の場として、この「不変」の庭はふさわしいのだろうなと思った。

妙心寺駅

余香苑

方丈を出て、通りを抜けると、余香苑に着いた。
この回遊式庭園は、昭和40年に造園家・中根金作氏により造られ、「昭和の名庭」と呼ばれているそうだ。中心に大きな紅しだれ桜があり、その奥にはひょうたん池、藤棚、つくばいと水琴窟がある。とても立派な庭だ。

入り口に足を踏み入れるとすぐ、「陰陽の庭」が両脇に広がっていた。
右手のうっすらと黒みががっている砂のほうが陰の庭(上写真)、左手の白い砂のほうが陽の庭。隠の庭には8つの石、陽の庭には7つの石を配置し、物事や人の心の二面性を伝えているとのことだが、陰の庭のほうがひとつ石が多いのはなぜなんだろう。
基本的に、物事や人は陰のほうへ向かいがちだよ、ということなのか。だから、なるべく陽のほうを向いている努力をしなさいよ、ということなのかもしれない。

妙心寺駅

瓢鮎図にちなんだひょうたん池には、鯉が泳ぎ蓮の花が浮かんでいて、その周りをこんもりとした緑がきれいに囲んでいた。まるでひと気のない山奥にいるような光景だ。庭というのは、空間全体をつかったひとつの作品なのだなと思い知らされる。こんなにも異世界へ連れていかれるなんて。
観光客の方がひとり、座ってじっくりと全体を眺めていた。彼はかなり長い時間そうしていた。一体どんなことを考えていたんだろう。もしかしたら、瓢鮎図の問いについて考えていたのかもしれない。

妙心寺駅

キッチンハウスマスダ

退蔵院をあとにし、妙心寺の南門を出て左に進み、木辻商店街に出た。
定食屋さんを見つけ、店頭ディスプレイのメニューを見る。今日のサービスランチは唐揚げ定食だそうだ。入ろうかどうか迷っていたら、すぐ後ろに男性のお客さんが立っていて、慌てて「すみません」と避けるかたちでお店の中に入った。男性は常連客らしく、慣れた様子でテーブルに着く。わたしは少し緊張しながら、カウンターのすみに座った。

お客さんはみな男性。しかも、なぜかみなさん体格が良い。花園大学が近いから、ラグビー部の方なのかもしれない。ほとんどの注文が「サービス定食、ランチ大盛り」だった。ちらちらとお皿を見ながら、「唐揚げは全部食べられなさそうだし」と悩んだ結果、チキンの照り焼き定食にした。
「ライス、少なめでお願いします」
おずおず言うと、女将さんが「ライス、少なめですね」と陽気に答えてくれた。

チキンの照り焼きはとてもおいしかった。久しぶりにこんなにしっかりとご飯を食べた気がする。
隣の席の若者は、まさにもりもりといった様子でおいしそうに唐揚げを頬張っていた。これを元手に、午後もしっかり動き、練習に励むのだろう。もし彼がラグビー部だったなら。

妙心寺駅

願王寺 かどで地蔵尊

お腹いっぱいになって、キッチンハウスマスダを出ると、すぐそばの路地の入り口に、看板が立っているのに気づいた。近づいて読んでみると、願王寺の「由緒」と書いてある。こんな住宅街にお寺があるのかな?と思い、路地の奥へと歩いていくと、小さな寺鐘が吊られたお寺があった。
ここは、牛若丸が身を寄せた金売り吉次の別宅があった場所として伝えられているそうだ。牛若丸は奥州への旅立ちの際、安全と宿願成就を祈願し、その願いが叶った暁には、お寺を建てることを誓ったという。そのお寺が、この願王寺なのだそうだ。

小さな窓から中を覗くと、お地蔵様が薄暗がりの中に見えた。「かどで」を見守るお地蔵様。無事帰ってきたときに「見守ってくれてありがとう」という気持ちを忘れないで、かたちにして伝えた牛若丸はえらいと思う。決して、自分の成長や成功を自分だけのものだと驕らないこと。帰ったら母に電話しようと、なんとなく思った。

妙心寺駅

亀屋重久

駅に戻ろうと、再び妙心寺の南門から入り、北門へと突っ切る。北門を出ると、向かいに和菓子屋さんがあったので、お土産を買おうと中に入った。

「沢辺の蛍」「あやめ」「青梅」。
6月という季節をそのまま閉じ込めたような美しい御菓子にしばし見とれる。
悩んだ結果、あやめと、柏餅と、若鮎を買った。

商品と一緒に入っていた「銘菓の栞」を読むと、「手造りの少量生産を基本としています」とあった。ひとつひとつ、大事に食べる。どれもとてもおいしかった。

妙心寺駅

ふたたび、妙心寺駅


電車が来るまでの間、ベンチに座ってまた文庫本を広げた。

ひょうたんでなまずを取る方法。陽より陰の庭のほうが石がひとつ多い理由。
本を読みながらも、その謎が頭の片隅にまだ溶けない氷のように残っている。じわじわと熱を与えるように考え続ければ、ある日突然わかるようになるのかもしれないな、と思った。そう信じた人だけが見つけられる答えというのがきっとあるんだろう。
空を見上げると、雨雲がたちこめ始めている。それを見ていたら、「雨粒岩を穿つ」ということわざが頭に浮かんだ。
その適応が喜ばしいものであれば、それは「成長」と呼ばれるのだろう。

ああ、だから6月が好きなのかな、と思った。
雨が降れば緑はますます生い茂る。その怒涛のような「成長」をからだごと感じるから、わたしは6月が好きなのかもしれない。

文庫本を閉じ、電車に乗り込みながら、そんなことを思った。

土門 蘭(どもん らん)

1985年広島生。小説家。京都在住。ウェブ制作会社でライター・ディレクターとして勤務後、2017年、出版業・執筆業を行う合同会社文鳥社を設立。
インタビュー記事のライティングやコピーライティングなど行う傍ら、小説・短歌等の文芸作品を執筆する。
共著に『100年後あなたもわたしもいない日に』(文鳥社※刊)。

「※社は旧漢字」

Information

妙心寺

妙心寺

住所:〒616-8035 京都市右京区花園妙心寺町1
拝観時間:9:10〜11:50 20分毎に案内
12:30
13:00〜16:40 20分毎に案内
(11月〜2月は〜15:40)
拝観料:大人700円 小・中学生400円
ホームページ:https://www.myoshinji.or.jp/

075-466-5381 (参拝課)

Poco a Poco

退蔵院

住所:〒616-8035 京都市右京区花園妙心寺町35
営業時間:午前9時~午後5時
一般600円(高校生含む)
    小中学生300円(小学生未満の幼児は無料、但し保護者同伴に限る)
    ※30名以上の団体様は大人550円、小中学生270円となります。
ホームページ:http://www.taizoin.com/

TEL:075-463-2855

キッチンハウスマスダ

キッチンハウスマスダ

住所:〒616-8034 京都市右京区花園木辻北町10-3
営業時間:月、水、木、日、祝日、祝前日…11:00~21:00 (料理L.O. 20:40 ドリンクL.O. 20:40)
金、土… 11:00~22:00 (料理L.O. 21:40 ドリンクL.O. 21:40)
定休日:火曜
ホームページ:https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260402/26010511/

TEL:075-461-0555

願王寺 かどで地蔵尊

願王寺 かどで地蔵尊

住所:〒616-8057 京都市右京区花園木辻南町22

亀屋重久

亀屋重久

住所:〒616-8014 京都市右京区谷口梅津間町(一条通妙心寺北門前)
営業時間:10:00~19:00
定休日:木曜
ホームページ:http://www.kameya-shigehisa.com/

TEL:075-461-7365

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