ひと駅ごとの小さな旅

有栖川駅

「まっさらな街」清く洗い流す場所

有栖川駅

有栖川駅

有栖川駅に着くと、車内にいた幼稚園児たちが一斉に電車を降り、駅で待っている母親たちめがけてそれぞれに駆けつけていった。「おかえり」「おかえり」と口々に言う母親の声を頭の上から浴びながら、子供たちが彼女たちの膝をぎゅっと抱きしめる。

この子たちにとってはここがホームタウンなんだな。そう思いながら、きょろきょろとあたりを見渡した。さっそくどの方向へ向かったらいいのかわからない。駅のまわりを見渡したけど、地図も案内板もどこにもない。しかたなく、スマートフォンで地図を開く。幼稚園児のひとりが、わたしのことを不思議そうに見つめている。

今日は梅宮大社に行く予定なのだが、地図によるとここからだいぶ歩くらしい。
幸いにも梅雨の合間の曇り空で雨は降っていないし、そんなに暑くもない。帽子をかぶったまま、まずは駅の近くのコンビニエンスストアに向かう。歩いている間喉が乾いても平気なようにペットボトル入りの水を買い、それからレジにいた女性の店員さんに道を尋ねた。地図が読めないので、念のために人に聞かないと不安なのだ。

「梅宮大社はこっちの道をまっすぐで合っていますか?」
店員さんは顔を上げ、「梅宮大社は結構歩きますよ」と気遣わしげに言う。
「どれくらいかかるやろう、20分、30分くらいですかねえ……」
そして本棚から地図を持ってきて、「今がここなんですけどね」と慣れた手つきで現在地を、それから梅宮大社を指さしてくれた。確かに、少し離れている。

「この、大国屋とユニクロの間の道をまーっすぐ歩いていくんです」
「大国屋と、ユニクロ」
確認するように繰り返すと店員さんは「そう。大国屋と、ユニクロ」と力強く頷いた。
「気をつけて行ってきてくださいね」
「ありがとうございます。行ってきます」

なんだか励まされた気持ちでコンビニを出る。

有栖川駅

とり久

まずは腹ごしらえをしようと飲食店を探したら、すぐそばに定食屋があるのを見つけた。
「中華そば」「親子丼」「カレーうどん」「かつとじ定食」など、表に貼り出されているメニューのなかに「冷麺」がある。そういえば今年はまだ冷麺を食べていないなと思い、のれんをくぐる。
注文すると、焼き豚と卵と野菜がたっぷり乗った冷麺が目の前にやってきた。ガラスでできた花の形の食器が夏らしい。弾力のある麺の下には氷が敷かれている。
あとから入ってきたお客さんが、ビールとかつとじ定食を注文して、お孫さんの話をしていた。もう小学二年生になったとのこと。わたしの息子と同い年だ。

有栖川駅

千代の古道

言われた通り、大国屋とユニクロの間の道を南へ歩いていく。
ところどころに「千代の古道」という石碑や看板を見つけた。「千代の古道」というのは、平安時代、天皇や貴族が北嵯峨野への遊行のときに通った道だという。

一番初めに見かけた石碑の側面には、和歌が刻まれていた。
「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」

有栖川駅

途中で有栖川に架かった橋を渡る。
「有栖川」の語源は「荒瀬(あらせ)」「荒樔(あらす)」という言葉で、意味は「祓いを行う場所」とのこと。有栖川は、人の身体についた汚れを洗い流す川なのだという。

歩きながら、この身体にもたくさん汚れがついているんだろうなあと思う。
わたしには子供がふたりいるけれど、特に下の子、2歳の息子と一緒に鏡をのぞきこむときには、子供って本当にまっさらだなと驚いてしまう。しみひとつない、みずみずしい肌。きっと、心もこんなふうにまっさらなんだろう。
隣り合う自分の肌は、34年の年月を経て、様々な傷跡やしみやしわが刻み込まれている。いろんな場所でいろんな刺激を受けてきた、わたしの肌、わたしの身体、わたしの心。

まるで新品のようなわたしの子供にも、これから少しずつ何かが刻み込まれていく。汚れも、傷も、しみも、しわも。老いるということは、そういうことなんだろうなと思う。

そうやって身体も心も使い古して、いつか死ぬんだろうな。できるだけ美しくあろうと、洗い流せるものは洗い流し、直せるものは直しながら。

そんなことを考えつつ、てくてくと歩く。

有栖川駅

梅宮大社

歩き始めて20分ほど経ったころ、突然「梅宮大社」という大きな看板が現れた。「やっと着いた!」と思わず声が出るほどに、嬉しい。

妙心寺駅

看板には「日本第一酒造の祖神」とある。それから「子さずけ・安産の神」と。

祭神である酒解神(さかとけのかみ)の子・酒解子神(さかとけこのかみ)と、同じく祭神である大若子神(おおわくこのかみ)とのあいだに、小若小神が生まれた。
それで大いに喜んで、稲をとってお酒を造り飲んだという神話から、安産と造酒の神として知られているらしい。

新しい命と、それを祝う喜びの酒。
縁起の良い場所だなあと、歴史が書かれた看板を前になんだか嬉しくなった。

有栖川駅

梅宮大社には大きな庭がある。受付で入場料を支払うと、
「もう紫陽花は終わりかけなんですよ」
と、少し申し訳なさそうに女性が言った。

「神苑入口」と書かれた場所まで行き、自分で門を開けて中に入っていく。大きな池があって一面を睡蓮の葉が覆っていた。
とても大きい回遊式庭園だ。確かに紫陽花は盛りをすぎていたけれど、まだきれいに咲いていた。今度は満開のころに来てみたいな、と思いながら歩く。

しばらく歩いてから、ずいぶん広いことに気がついた。どんどん奥のほうへと進めてしまう。迷ってしまうくらいに広い。
そこかしこに矢印のついた看板が立っているが、それは道順を示すものではなく、「こっちにこの花が咲いていますよ」と指し示すためのものだった。梅、桜、つつじ、かきつばた、花菖蒲、蓮華、紫陽花……。まるで小さな森のようだ。

有栖川駅

ここ梅宮大社では、8月最終日曜に嵯峨天皇祭が行われるとのこと。嵯峨天皇が相撲好きだったと言われていることから、少年相撲も開催されるらしい。
そこでは子供たちの元気な声が聞こえてくるのだろう。大人たちも楽しくお酒を飲むのだろうか。

ようやく出口を見つけたときには、少しほっとした。
境内を出て、再び有栖川駅へとてくてくと歩き向かう。

有栖川駅

斎宮神社

また20分ほど歩いて有栖川駅付近まで向かう。
さきほど冷麺を食べたとり久が見え「やっと着いた」とまた思う。そのすぐ横に、神社があるのに気がついた。斎宮神社。祭神は天照皇大神とのこと。

7月初めだったので、これまでの半年間の穢れを落とす「夏越の大祓え」の茅の輪がまだ残っていた。神社ごとに茅の輪くぐりのやり方が異なるらしいが、看板をのぞきこむと、詳しいやり方が書かれている。

一、茅の輪の正面に立ち一礼
一、和歌を詠む「水無月の、夏越の祓いする人は、千歳の命延ぶという成」
一、左廻りに一周して正面に立つ
一、一礼

この後、和歌を2度変え、それぞれ右廻り、左廻りを続けるという。
一周しては読み、一周しては読みを繰り返してやりきったときには、なんだか気持ちがすっきりした。

有栖川駅

バンボシュール嵯峨野店

神社を出てすぐ近くの、お城のような外観のケーキ屋さんに入る。歩き疲れていたので、きらきら輝くケーキたちが眩しい。2階はカフェになっているそうだけど、今は工事中とのことで、テイクアウトすることにした。散々迷ったあげく、「完熟マンゴーのレアチーズクリームタルト」と、名物の「シンデレラプリン」を購入。どちらもものすごくおいしそうだ(そして帰宅後食べるとものすごくおいしかった)。

駅で見かけた幼稚園児たちも、ここのケーキを食べているのかもしれないな、と想像する。歳を重ねるごとに、ここでケーキを用意してもらうのかもしれない。そういう意味で、自分の街にあるケーキ屋さんがおいしいというのは大事で誇らしいことだ。

有栖川駅

ふたたび、有栖川駅


帰りにもう一度コンビニエンスストアに入った。店員さんにお礼を言いたかったので、ちょうど切れていた文具を買ってレジに向かう。道を教えてくれた店員さんはまだレジにいて、わたしを見ると笑って「梅宮大社、無事行けましたか」と言ってくれた。
「はい、無事行けました。どうもありがとうございました」

駅に戻ると誰もいなくて、ベンチに座ってぼうっとした。
有栖川の地で夏越の祓えまでできて、今日一日でだいぶ穢れが落ちたんじゃないかと思う。

それでも落ちないしつこい汚れや、決して消えることのない傷やしみを「老い」というならば、それはそれで興味深い。まっさらな子供はかわいいが、個性豊かな大人はおもしろい。時間とともに唯一無二な汚れや傷を身につけて、なおかつ笑いながら、いつか忘れられない人として死んでいけたらいいなと思う。

もうすぐ電車が来る。
家に帰ってケーキの箱を見たら、子供たちはなんて言うだろう。まっさらな顔で、わたしに向かって笑ってくれるだろうか。

土門 蘭(どもん らん)

1985年広島生。小説家。京都在住。ウェブ制作会社でライター・ディレクターとして勤務後、2017年、出版業・執筆業を行う合同会社文鳥社を設立。
インタビュー記事のライティングやコピーライティングなど行う傍ら、小説・短歌等の文芸作品を執筆する。
著書に『100年後あなたもわたしもいない日に』(共著・文鳥社※刊)、
『経営者の孤独。』(ポプラ社刊)。
近日、長編小説『戦争と五人の女』(文鳥社※刊)発刊予定。

「※社は旧漢字」

Information

とり久

とり久

住所:〒616-8315 京都府京都市右京区嵯峨野宮ノ元町20
営業時間:11:00~14:00
定休日:土・日・祝
ホームページ:https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260403/26018659/

TEL:075-881-9324

梅宮大社

梅宮大社

住所:〒615-0921 京都府京都市右京区梅津フケノ川町30
ホームページ:http://www.umenomiya.or.jp/

TEL:075-861-2730

斎宮神社

斎宮神社

住所:〒616-8315 京都府京都市右京区嵯峨野宮ノ元町

TEL:075-871-5016(松尾大社)

バンボシュール嵯峨野店

バンボシュール嵯峨野店

住所:〒616-8314 京都府京都市右京区嵯峨野秋街道町50-5
営業時間:平日10:00~20:30、 日・祝10:00~20:00
定休日:毎週水曜日・第3火曜日(定休日が祝日の場合は翌営業日が振替休日)※夏期・冬季休暇あり
ホームページ:https://bambocheur.jp/

TEL:075-873-2352

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