ひと駅ごとの小さな旅

撮影所前駅

「旅情の街」映画に寄り添う日常の場所

撮影所前駅

撮影所前駅

わたしは、「旅」というものをほとんどしたことがない。
もともと、刺激よりも安らぎを求める性格だ。知らない場所よりも知っている場所が好きだし、できることなら家にいて本を読んでいたい。だから、「旅」というものをあまりしてこなかった。そしてそれで、特に不満もなかった。

だけど先日、水野学さんの『センスは知識からはじまる』という著書の中にこんな一節に出会って以来、「旅」についてよく考えている。

「自分という人間の枠組みを決めているのは自分自身です。しかし、自分というものをつくっている要素はまわりの環境です。そこでまわりの環境を変えてみると、自分の枠組みも変わります。(中略)行ったことのない場所に行くこと、自分と違う職業の人と話すこと、浴槽に逆に入ること、バス停を変えてみること、デパートでちょっとした「調査」をすること。これらはすべて、「旅」であると僕は考えています。旅という学びは、感じる力を育てる一番素晴らしいものではないかと思うのです」

この文章を読み、「自分にも心当たりがあるな」と思った。「旅」というものをほとんどしたことがない、にも関わらずだ。

頭に浮かんだのは、この連載のことだった。
京都に住んで10年以上が経つけれど、わたしは嵐電沿線にある駅については、ごく一部にしか降りたことがなかった。ところがこの『ひと駅ごとの小さな旅』という連載を始めることになってからは、毎月どこかの駅に降り、周辺をうろうろと歩くようになった。

駅に降り立った瞬間、いつも思う。
「ああ、初めて来たな」「どんなところなんだろう」
同じ日本、同じ京都でも、駅が異なるだけでこんなにも空気が違う。その空気に足を踏み入れるたびに、わたしは少しずつ枠組みを変えていく。
まさに「小さな旅」だ。そう思って、なんだか嬉しかった。

そんなことを思い出しながら、撮影所前駅に降りる。
ここは北野線全線開通から90年を迎えた2016年に開業した、新しい駅だという。ポスターが貼られている壁が、映画のフイルムみたいになっている。

「ああ、初めて来たな」「どんなところなんだろう」
わたしはキョロキョロと周りを見渡し、駅から道へと進んでいく。
今日も「小さな旅」が始まる。

撮影所前駅

東映京都撮影所

駅周辺を歩き始めてから意外だったのは、観光客向けのお店などがちっともないことだった。のどかな住宅街を歩いていくと、ふと目の前に「東映太秦映画村」という看板が現れる。
その看板の奥に建っている、東映京都撮影所。ここは、京都でいちばん古い撮影所で、大正15年からあるという。「日本のハリウッド」と呼ばれ、時代劇や刑事物を中心に、今もなお数多くの作品が生まれ続けている。

撮影所前駅

入り口には警備員さんが立っていて、「映画村(に御用)ですか?」と声をかけられた。入りたいのは山々だが、映画村に入るとそれだけでこの記事が終わってしまうので、曖昧に笑いながら首を振り、周辺をうろうろした。女優さんや俳優さんとすれ違うかしら、とドキドキしていたが、まったくそんなことはなかった。映画村の建物の壁に忍者の人形がよじ登っているのが見え、思わず「わっ」と声をあげる。

撮影所前駅

ロサ・バリエ

撮影所から歩いて5分ほどのところに喫茶店を見つけたので、中に入ることにした。毎度のことながら、初めて訪れる喫茶店というのは緊張する。そのお店が街に馴染んでいればいるほど、自分がストレンジャーなのだということが浮き彫りになるからかもしれない。思い切って扉を開けると、にこやかな笑顔でマスターが出迎えてくれた。

壁一面所狭しと、映画のポスターやスターの写真、サインなどが貼られている。すごいなあ、と思いながらそれらを眺め、ホットコーヒーを頼んだ。
「うちはウインナコーヒーですけど、ミルクを入れても?」
と尋ねられ、いつもの癖で「ブラックでお願いします」と答えたが、すぐに後悔した。郷に入れば郷に従え、というのが「旅」の掟だったのに。

撮影所前駅

コーヒーを飲みながら、マスターとおしゃべりをする。
彼は25歳からこのお店を始めて、今はもう古希を超えたとのこと。「え!?」とわたしが驚くと、マスターはうふふと笑った。しゃんと伸びた背筋、きびきびとした動き、つやのある顔つき、とてもそんなお歳には見えない。 そう言うと、「きっと俳優さんとよく遊ぶからやろうね」とおっしゃった。昔から、撮影所で仕事をしている俳優さんや女優さんが多くこのお店に訪れるらしく、友人としても交流があるらしい。人から見られることを職業にしている方たちには、独特のエネルギーがあるのかな、と思う。そのエネルギーが、このお店では充満しているのかもしれない。

「出演しているテレビドラマを観たら、必ず感想のメールを送るんですよ。そうしたら『観てくれてありがとう!』ってカンヌから返信が来たこともあってね」
そう言ってマスターは笑った。

俳優さんたちは撮影の合間にここでリラックスして、また撮影所に帰って仕事をするのだろう。その仕事をマスターにきちんと見てもらえるのは、俳優さんたちにとっても嬉しいことなのだろうなと思う。

最後に「写真を撮ってもいいですか」と尋ねると、マスターは笑顔で快諾してくれた。

撮影所前駅

コーヒーを飲み終わり、あてもなくふらふら歩く。
気づいたら隣の帷子ノ辻駅まで歩いていたので、「わあ、こんなに近いのか」と驚いた。Uターンするように撮影所前駅まで帰り、今度は撮影所とは反対の出口方面を歩いてみる。

平日の真昼間だからから、静かで人通りが少ない。土日はもっとにぎわうのだろうか。 ずっと前の方に、日傘を差している女性が見えた。

撮影所前駅

JR太秦駅

歩いて5分ほどで、JR太秦駅に着いた。なるほど、ここで乗り継ぎができるのか、と理解する。そろそろ昼食にしようと、駅前でキョロキョロお店を探してみたが、ご飯を食べられそうなところはなかった。もう一度、撮影所前駅のほうへと歩いていく。予定も前知識もない「旅」というのは、こういうものだ。

撮影所前駅

さつき

さきほど行ったロサ・バリエの前を通り過ぎ、さらに南へ下がっていくと、「さつき」というお店を見つけた。かわいいクマの飾りに「OPEN」と書かれてある。黒板には「本日の手作りランチ」とあり、「自家製牛肉コロッケ、おでん煮、すのもの、ごはん・みそ汁 880円」。中に入ると、母娘でいらっしゃるのだろうか、おふたりの女性が出迎えてくれた。鉄板が中央にはめられたテーブルに座り、お茶をすする。

撮影所前駅

出てきたお皿に乗っていたコロッケは、揚げたてであつあつだった。牛肉がごろごろ入っていて、まさに手作りという感じで、とてもおいしい。おでんも出汁が染みていて、お味噌汁にはあぶらあげや豆腐がたっぷり入っている。 無心で食べていると、ふと、ここはどこだっけ、という気持ちになった。初めて行く定食屋さんというのは、新しい経験なのになぜか懐かしく、「旅」の途中なのについ油断してしまう。そしてやっぱり自分はストレンジャーなのだと、思い知るのだった。

撮影所前駅

うずまさふたば

最後に、駅に帰る前に和菓子屋さんに寄った。扉を開けて入ると、こちらも壁一面に俳優さんや女優さんの写真が貼られてある。
ずらりと並ぶ和菓子を前にあれこれ迷うも、のれんにも書かれてある「うずまさ名物」豆大福、それから栗大福と生わらび餅を選んだ。
包んでいただいている間に、壁の写真を眺める。それぞれの写真に、俳優さんたちの名前と代表作が丁寧に記載されていて、店主はお店のあるこの土地を大事にされているんだなと思った。

撮影所前駅

うずまさふたばさんは、京都撮影所の映像に写るお菓子を作ってこられた和菓子屋さんらしい。もしかしたらわたしも、テレビドラマや映画の中で目にしているかもしれないと思うと、不思議な気持ちになる。

女将さんに「嵐電のホームページに掲載される連載エッセイを書いているんです」と伝えると、「私は嵐電が大好きなんですよ」と笑顔でおっしゃった。
「路面電車っていいものですよね。外国のお客様にも、よく『嵐電に乗ってみたら』っておすすめしています」

自身の住む街、働く街を、きちんと大事にしている方を見つけると嬉しくなる。「旅」の醍醐味は、もしかしたらそれかもしれないなと思った。初めて訪れた、自分にとってはなじみのない街。そこで日々生活している人が、確かに存在しているのだと知ること。

撮影所前駅

再び、撮影所前駅

駅のベンチに座り、膝の上に買ったばかりの和菓子を置く。ビニル袋に手をやりながら、わたしはいつもこの連載の取材の最後に、何かお土産を持っていることに気づいた。
やってきた電車に乗り込み、撮影所前駅をあとにする。だけど、わたしの手元にはまだ、ほのかに「撮影所前駅」が残ったままだ。

「今日は撮影所前駅に行ってきたんだよ」
家に帰りそう言うと、子供たちは「おみやげ!」と喜んでまとわりついてくる。
包みを開けると、住み慣れた自分の家の中に、ふわっと「撮影所前駅」の空気が広がるような気がした。

子供たちは、生わらび餅と栗大福をおいしそうに頬張った。わたしは豆大福を食べてみる。ふっくりとした黒豆と舌触りの良いお餅がとてもおいしく、もっと買えばよかったなと思った。今度映画村に行ったときには、また必ず帰りに寄るようにしよう。

「まわりの環境を変えてみると、自分の枠組みも変わります」
豆大福を食べながら、本で読んだこの言葉を思い出す。

今日わたしは、見たことのなかったものを見、味わったことのないものを味わい、知らなかったことを知った。確かに「自分の枠組み」を変えたなあ、と思う。

1日だけでも、同じ京都でも、それができるのだと知ることは、なんとも自由で楽しいことだ。

土門 蘭(どもん らん)

1985年広島生。小説家。京都在住。ウェブ制作会社でライター・ディレクターとして勤務後、2017年、出版業・執筆業を行う合同会社文鳥社を設立。
インタビュー記事のライティングやコピーライティングなど行う傍ら、小説・短歌等の文芸作品を執筆する。
著書に『100年後あなたもわたしもいない日に』(共著・文鳥社※刊)、
『経営者の孤独。』(ポプラ社刊)。
近日、長編小説『戦争と五人の女』(文鳥社※刊)発刊予定。

「※社は旧漢字」

Information

ロサ・バリエ

ロサ・バリエ

住所:
京都市右京区太秦西蜂ヶ岡町13-1
営業時間:11:00~17:00(平日)、11:30~17:00(土曜・祝日)
定休日:日曜日、映画村で撮影がない祝日
ホームページ:https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260402/26012450/

TEL:075-881-9081

さつき

さつき

住所:
京都市右京区太秦桂ケ原町20-15
営業時間:11:30〜18:00
定休日:土・日・祝
ホームページ:https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260402/26010808/

TEL:075-872-8643

うずまさふたば

うずまさふたば

住所:
京都市右京区太秦西蜂岡町9-30
営業時間:8:15~18:00
定休日:火曜
ホームページ:https://ameblo.jp/futabakaho/

TEL:075-861-3349

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