ひと駅ごとの小さな旅

山ノ内駅

「思い出の街」ずっと気になっていた場所

山ノ内駅

ずっと気になっていた駅に、今回初めて降り立った。
山ノ内駅は小さな駅だ。駅舎もないし、改札もない。電車を待つことのできる小さな島だけが、ひっそりとある。このような駅のことを「電停」と呼ぶらしい。路面電車停留場の略称なのだそうだ。

「わ、これって駅なんだ」
山ノ内駅に到着すると、必ずと言っていいほど電車の中でそんな声が聴こえる。「小さい駅だね」「すごーい、ここから乗れるんだ」などなど。
わたしもつられて窓の外を見る。そしていつも懐かしい気持ちになる。故郷の広島には今でも路面電車がよく走っていて、こんな感じの駅がいくつもあった。山ノ内駅があるのは、京都唯一の路面電車区間だから、そういう意味でも気になる場所だったのだと思う。

山ノ内駅

ずっと気になっていた駅に初めて降り立つ、という行為は、眺めていた絵の中に肉体をもって入り込む、という感じだと思う。鑑賞者だったのが突如、登場人物になったような。

(ああ、実際にここに立ってみるとこういう感じなんだ)
道路の中央を貫く長細い島に身を置いて、頰を冷たい風になでられながらそんなことを思った。
わたしがこの連載でずっとしてきたことは、絵の中に入り込み登場人物になる行為だったのかもしれない。

山ノ内駅

山王神社

駅から北へ行き、住宅街の中を歩いていくと、大きな樹が立っているのが見えてくる。
「山王楠」というその樹は、樹齢700年を超えているらしい。「区民の誇りの木」という看板がかけられてあって、いいなと思う。

この神社は創建不詳の古い神社で、もともとは延暦寺の山門領内であったのだそうだ。ご利益は「方除け、厄除け、縁結び、安産、子授け、夫婦円満」であるとのこと。
こちらに勧請された「日吉山王大神」が、「山ノ内」という名前の由来になっているらしい。

山ノ内駅

境内の中には、掃除をしている年配の男性以外に誰もいなくて静かだった。
風通しが良く明るくて、とても清々しい神社だ。

本殿の右手には、「夫婦岩」という大きな岩がある。まるでふたつの岩が寄り添ってできているかのような大きな岩だ。そちらを左から三回まわって安産を祈る、という習慣があるのだそうだ。

夫婦の岩にはそれぞれくぼみがあり、そこに小さな石が積まれていた。安産祈願に来た人たちの願い事が込められた石だろう。岩が、誕生を心待ちにされている命たちをじっと抱きかかえているように見える。

山ノ内駅

カフェe-ばしょ

お腹が空いたのでお昼ご飯を食べようと思い、駅から山王神社に行く途中で見かけた「Cafe e-ばしょ」というお店に入った。
今日の「日替り健康ごはん」は、赤魚のみぞれ煮、南瓜の煮物、菜の花のポン酢和え。それにごはん、味噌汁、ドリンクが付いて600円は安いなあと驚く。カレーライスやオムライスも、すべてサラダ・ドリンク付で600円だという。

入るとすでに三つのテーブルのうち二つの席が埋まっていた。大学生らしきさわやかな男性が、ひとりでてきぱきと動いていて、わたしを席まで通してくれる。

山ノ内駅

こちらは、「地域密着型サービスセンター welcomeやまの家(うち)」というところが運営しているカフェらしい。
カウンターでは地域の方の手作りアクセサリーなどが販売されていたり、日曜は無料でスペースを利用できるなど、地域の交流サロンとしての役割も持っているのだそうだ。

この日は親子連れのお客さんもいて、小学生の男の子がお母さんと一緒にお昼ご飯を食べていた。「お母さんもう食べたん? 食べるの早いな」「あんたが遅いんやろ」という声が聴こえる。そこにおじいさまらしき男性も現れ、「調子どうや? 今日は学校休んだんか?」(体調が悪くて休んでいたらしい)と言う。まるで彼らの家をのぞき見ているようで、少しどきどきした。

日替り健康ごはんは、野菜がたっぷりでおいしかった。写真を撮ってから思ったのだが、盛り付けが逆だったかもしれない。食後に紅茶を頼んだ。

山ノ内駅

志津屋本店

ごはんを食べ終え、御池通りまで歩く。しばらく西へと進んでいくと志津屋の本店にたどり着いた。
志津屋と言えば、京都を代表するパン屋さんである。広島から出てきたばかりの頃、京都駅の志津屋に入って名物のクリームパンを食べて、そのおいしさにとても感動した。トングで挟むと重たいほど、クリームがどっしりと詰まっている。ポップでも謳われているとおり、冷やしてもおいしい。
その後一人暮らしをした街の駅中にも志津屋があったのでよく通ったし、今でも見かけるとふらっと入る。わたしの好きなパンは、「五穀の恵」と「究極のぶどうパン」だ。

山ノ内駅

学生時代から今までずっとお世話になっているパン屋さんなので、本店に来られてなんだか嬉しい。せっかくなので、食べたことのないパンを記念に買っていこうと思い、「トライアングル」というカスタードクリームの入ったドーナツパンを買った。あとは、「大納言あんぱん」。これは最近わたしがハマっているパンである。こしあんもパンもなめらかでとてもおいしい。おすすめです。

山ノ内駅

喫茶さいわい

そのすぐ近くに喫茶店を発見したので、休憩をしようと入ることにした。
名前がとてもいいなと思いながら写真を撮っていたら、そばを通ったご年配の男性に微笑みかけられた。邪魔になっているかなと思い慌てて中に入ると、彼もあとから入ってくる。どうやら喫茶さいわいの店主の方らしい。
わたしがコーヒーを頼むと、一緒にアスパラガスクッキーを出してくださった。歩き疲れたからだに、甘いものがうれしい。

山ノ内駅

コーヒーというのは、喫茶店によって全然違う味がする。ときどき好みのど真ん中のコーヒーに出会うことがあって、そういうことは希少なのだけど、こちらのコーヒーがまさにそんな味だった。柔らかく深くて重たく、どこかほんのり甘い。
すごくおいしい、と思っていたら、カウンターに座っていた常連客らしき女性が、「ああ、ここのコーヒーはほんまにおいしいわ」と心からの様子でそう言った。「本当ですね」と胸の内で返す。
コーヒーとの出会いは、一期一会。どこで理想の味に出会うかわからないもので、だからこそ初めての喫茶店に入るのは楽しい。

山ノ内駅

再び、山ノ内駅

山ノ内駅周辺をうろうろと歩き、もう一度駅に戻ってくると、数時間前にここに降り立った時よりも、ずっと風景が親しげに見えた。
わたしという登場人物が、この絵に馴染んできたということなのだろうか。

旅とは、あらゆる絵の中の登場人物になること。
そんな言葉が頭に浮かぶ。その絵の中で動いたり、歩いたり、話したりしているうちに、わたしもその絵の中の一部になるのだろう。

そして絵の中から再び出ていくとき、わたしは自分がさっきまでその中にいたはずの絵を、ポストカードのようにして胸にしまう。思い出ってそういうものかもしれない。いつか自分がいた場所のこと。
山ノ内駅が気になっていたのも、故郷の思い出の「絵」と似ていたからで、その絵がここに連れてきてくれたみたいで、なんだか嬉しい気持ちになった。

そしてわたしは、また新しい絵を胸の中に増やして帰る。嵐電に揺られながら。

土門 蘭(どもん らん)

1985年広島生。小説家。京都在住。ウェブ制作会社でライター・ディレクターとして勤務後、2017年、出版業・執筆業を行う合同会社文鳥社を設立。
インタビュー記事のライティングやコピーライティングなど行う傍ら、小説・短歌等の文芸作品を執筆する。
著書に『100年後あなたもわたしもいない日に』(共著・文鳥社※刊)、
『経営者の孤独。』(ポプラ社刊)。
近日、長編小説『戦争と五人の女』(文鳥社※刊)発刊予定。

「※社は旧漢字」

Information

山王神社

山王神社

住所:〒615-0092 京都市右京区山ノ内宮脇町5
参拝時間:8:00〜16:00(参拝のみ)
ホームページ:HPはこちら

TEL:075-821-0934

カフェe-ばしょ

カフェe-ばしょ

住所:〒615-0093 京都市右京区山ノ内宮前町5-10
営業時間:9:00~16:00
定休日:日曜日
ホームページ:HPはこちら

TEL:075-813-5687

志津屋本店

志津屋本店

住所:〒615-0096 京都市右京区山ノ内五反田町10
営業時間:7:00~20:00
定休日:1月1日
ホームページ:HPはこちら

TEL:075-803-2550

喫茶さいわい

喫茶さいわい

住所:〒615-0097 京都市右京区山ノ内大町9-1
定休日:日曜日・月曜日
営業時間:5:30〜16:00
ホームページ:HPはこちら

TEL:075-802-1727

map